面会交流の意見書を書いていて、ときどき依頼をお断りしていますが、単純にDVがあったからといって断っているわけではありません。

子どもを連れ去った「同居親」の主張の多くは、「DVを受けていて、子どもを置いていけなかったから」というものですが、この主張が正しく、一方的な攻撃と支配を受けていた場合もありますが、多くは夫婦喧嘩というレベルであり、「被害を受けた」・「心身に影響があった」という被害者基準で考えると、双方がDV加害者であり双方がDV被害者になります。中には、DVを受けていたと主張する同居親が本当は一方的なDVの加害者であったという場合もあります。

一方的なDVがあった場合でも、DVの自覚を持ち、改善のための覚悟がある場合には意見書作成はお断りしていません。DVをする要因が、完全に遺伝要因であればその人の責任とはいえませんし、環境要因があったのであれば、「連れ去り」という心理的DVをせざるを得なかったと同居親が主張するように、DVをせざるを得なかったということも考慮しなければなりません。

ですから、基本的に「連れ去り」に対して反省し、関係改善を求めている相手に対して積極的に監護者変更を申立てることには賛成できませんし、DVについて反省し、関係改善を求めている当事者に対して積極的に面会交流をあきらめさせることにも賛成できません。

薬物やその他の依存症の多くが、関係性の病であるといわれたり、嗜癖行為自体が自らの心の痛みを紛らわすための「自己治療」的なものであると考えられていることからも、関係性の依存や行為の依存も、単に処罰したり被害者の救済をするだけでは問題の解決につながりません。

DV行為が支配的な関係に対する依存であると考えられる場合も多くあります。不遇な幼少期(多くは親の離婚や虐待を経験)を過ごしたり、対外的には「とてもいい人」を演じ続けていて、社会的にも過剰適応を示しているためにストレスを抱えている人もいます。それらのトラウマや不安から逃げるために、あるいは蔑まされた思いを振り払うために自らの絶対的優位性と支配性を感じざるを得ない状態にあると考えられる人もいます。

彼らに必要なのは、DV関係・行為の要因となった心のケアであり、それを求めるのであれば、面会交流は十分に治療的であり、同時に、DV行為を子どもが恐れていた場合であっても、親が憑りつかれたような「DV依存」を改善していく姿を見て親から真の愛情を受けられるようになることは、「DV夫」などと称し行動の全てをひとりの人間の責任に帰そうとする態度を持つことを予防し、他者に対する愛情と寛容の精神を持つ人格を育てることにつながります。

人は過ちを犯し、反省し、改め、成長します。子どもたちが学ぶべきことは愛であり、子どもを、そのプロセスに立つ親から引き離すことは、子どもたちから愛を持った人格形成を妨げることになると考えています。

僕が意見書作成をお断りするのは、未だに保身と復讐のために子どもを利用しようという思いにとらわれ、子どもと自分の幸せのために努力しようという気持ちのない方です。ですが、意見書をお断りしても、加害者臨床の枠組みで心理カウンセリングを行うことはお断りしていません。

弊社のホームページを見て、「別居親の言いなりになって意見書を書く臨床心理士だ」などといった批判をされる弁護士や当事者の方がいらっしゃいますが、裁判所に証拠提出される際には、こちらのページも合わせてご提出いただくようお願いします。

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